
奨励賞
奨励賞については、他の各賞の授賞にはあと一歩至らなかったものの、作品の持つ熱意・独創性・将来性と、審査員の強い推薦があり、受賞の運びとなりました。これらの作品は優秀賞作品と大きな差があったわけではありません。いずれの作品も非常に読み応えがあり、審査員一同楽しく選考させていただきました。
本賞選考にあたっての総評
わくらばエラーブル ~居留地横濱滞在記~
著者:古出新
講評
明治時代の横濱居留地。理髪店で働く少女皐(さつき)は、目の前で人が斬られるのを見てしまった。領事館に勤める二等書記であるヴィクトールとともに、追う事件。その先には、失ってしまったはずの母の記憶と記録が散りばめられていて。不可思議な男シロウアマベも介入し、やがて事件の全景が見えてくる――。
まずは本作の大きな特徴から書かせていただきます。これは事務局感想投下の際にも申し上げましたが、筆者はとても入念に取材をされているのです。エピソードを一つ、二つほど読んでいただければすぐにわかります。地名・風景・料理・建築・文化・宗教。それらのどれにも執筆前、あるいは執筆中の入念な取材を見てとることができます。色の使い方などよい一例です。鶸色・象牙色・飴色・琥珀色と、なかなか珍しい色が使われています。どれも「読者にこの世界を楽しんでほしい」という心から、作者が工夫して設けられたものでしょう。わたしは歴史の関係する小説において「後の」という表現が好きです。過去は現在と繋がっていると実感できるからです。本作においても「後のフェリス和英女学校」という記述があり、ここでも筆者の取材力をうかがい知ることができました。
本作はレベルが高いです。たしかこの企画において五次選考を通過した作品だと記憶しています。取材力の高さに、工夫あるシナリオライティング。同一エピソード内に異なった視点があることなど荒さがあったために最終選考通過を逃しましたが、相当高レベルな作品であることには論を待ちません。しかしわたしが本作に奨励賞を授賞したのは、本作が最終選考通過作と紙一重の出来だったからという理由ではありません。そこには二つの理由があります。
一つ目の理由。筆者が小説を書く「楽しさ」と「苦しさ」の両方を知っているからです。小説を書くことが楽しい、というのはみなさんもすぐに理解できると思います。一方、小説を書くことには苦しさも同居するものだとわたしは考えています。それは別に、義務感や焦燥感のもとに小説を書くという意味ではありません。どうすれば読者を喜ばせることができるか、そのために自分はなにができるか、という自問です。わたしは多くの作品の中で、本作、そして筆者に対してこの「自問」をもっとも強く感じました。この自問をもてる人は必ず良い小説を書ける。それは本作の随所に配置された、個性あるキャラクターたちがわたしに教えてくれた事実です。
ところで、本作の主人公は混血。さらに舞台が居留地であることから主要キャラクターは全員ネイティブです。これら舞台とキャラクターを元に読み進めていきますと、いつしか自分が「異人側の視点」を得ていることに気づきます。これはなかなか珍しいことです。たとえば異世界もので多く見受けられる書き方として、「わたしたちと立場の近い主人公」が「わたしたちの住む世界とは異なった場所」を見るというものがあります。なぜこの書き方がよく見られるかというと、読者の共感を得やすいからです。ゆえにこの書き方には一つの正解があります。一方本作は一貫して「異人側の視点」を貫きます。そこには入念に調べられた背景が配置されています。その結果として、読者はいつしか「異人側」を当たり前と感じるようになり、その視点で物語を楽しむことができるようになります。ガレットやオニオンスープが、あたかも「よく食事に出てくるもの」と感じられるようになります。この書き方は、筆者が「異世界の視点」を有していないとできないものです。これをもっていないと具体性とバランスを失し、薄っぺらい視点に留まってしまうことでしょう。この「異世界の視点」。これこそが二つ目の理由にほかなりません。この視点をもっている筆者は、どんなシチュエーションや設定に対しても、読者を引きこむ書き方ができるのではないかと感じました。
本作にはまだ改稿の余地はあります。しかし五次選考を通過した作品であるため、そのあたりは大きな問題とならず、読者のみなさんは本作を楽しんでいただけると思います。そしてそれ以上に、読者に叩きつけられる驚愕の取材力と視点。わたしはこの唯一無二の個性を有した本作と筆者に対し、第三回いっくん大賞の奨励賞を授賞します。
(審査員:いっさん小牧)